2018年08月28日

ひまわりを。

こんにちは、お久しぶりです。JKです。
最近は雨で涼しくなったと思ったら急に暑くなったりと気温の寒暖差が激しいですね。皆様もお体ご自愛下さい。

さて、1か月も前の話にはなりますが、テストが終わり、大学のオープンキャンパスでお休みをいただいたので少し南へ旅行してまいりました。旅行といいましてもそう大したものではありませんが・・・。

朝はそこそこに起床し、仙台駅へ。
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何気に常磐線は2011年に亘理まで行って以来かもしれません。

ゆらりゆられて
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山下駅です。
ここは”やました”駅で。町の名前は山元と書いて”やまもと”と読むんですね。
少し気になって調べたら、お隣に坂元と書いて”さかもと”という駅がありました。

何でもこの”山元町”ですが、山下村と坂元村が合併してできたようです。

地名を知るのも面白いですね。

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駅を出て移動します。天候に恵まれて気持ち良く移動できました。

歩くこと1時間弱・・・。
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ひまわり畑に到着しました!
山元ひまわりまつりの最終日でした。

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さすがに最終日ということもあり、だいぶくたびれてはいましたが(笑)

近くの避難丘公園からは海が見えました。
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新しい高架を走る常磐線。
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いつの日かまた常磐線ルートで東京方面が走ることを夢見て結びとさせていただきます。

ありがとうございました。
posted by TRFC at 13:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2018年08月15日

終戦直後の車両たち −8月15日に寄せて−

 こんにちは。カタナです。うんざりするほどの酷暑が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。天気のよい日には列車の撮影に…なんて方も多いでしょうが、くれぐれも熱中症等にはお気をつけください。

 さて、雪ニモ夏ノ暑サニモ負ける貧弱な私。今日も部屋にこもって工作三昧ですが、殊に本日は終戦記念日ということですので、今回は先の大戦およびその後の占領時代にまつわる車両を、いつもの通り16番ゲージの模型で紹介していきたいと思います。いずれも昭和25〜27年頃という設定です。

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 まずは戦災復旧客車。これは文字通り、本土空襲等で被災し廃車となった車両の台枠などを再利用して製造された車両です。敗戦後の深刻な資材不足の中、何とか輸送力を確保するための応急的な産物で、まさに戦争の落とし子と言えるでしょう。

 戦災復旧客車には70番台の形式名が与えられ、種車や工場によって様々な形態が存在しました。今回製作したのは、戦災復旧客車の中でも基本形式となるオハ70で、車体長17m級の普通車です。オハ70にもいくつかのタイプが存在しますが、これは31系客車を種車とするグループで、魚腹台枠にその面影をみることができます。その他、2段の側面窓、雨どいの無い屋根、ドア上の水切り等が大きな特徴です。後に全車が荷物車に改造され、スニ75という形式に改められました。

 模型は例によってペーパー自作です。70系客車は全体的にのっぺりした外観をしているので、自作する分にはわりと楽だったりします。ただし資料集めが難儀ですが…。

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 続いては見た目にも涼しい(?)冷蔵車を2題。

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 車体に怪しげな英字が書き込まれたこの貨車は、連合軍専用指定のレ2900です。当時、日本を占領下に置いた連合軍は、国鉄に対しても絶対的な力を持っており、軍の輸送に関わる車両や列車を事細かに指定していました。特に冷蔵車は、本国から輸入した食糧を各部隊まで輸送する上で重要であり、一時は全国で600両余りが接収されていたようです。

 側面の表記は、車両ごとの仕様や所属を表すもの。例えば「Freezer Car」の表記は、食肉輸送用に内壁保冷材の強化等が施されたことを示しており、車内温度0℃以下での輸送が可能でした。この他にも、卵や野菜等の輸送に用いられる「Chill Car」や、両者の合造車である「Freezer and Chill Car」などが存在しました。また、これらの冷蔵車は食品が水揚げされる各港に配置が決められており、輸送が終わった後は必ず元の港に返却するよう、「When Empty Return To ○○」という但し書きがなされていました。この車両は横浜港(東横浜駅)所属としてあります。

 模型は古い天賞堂の製品を利用しており、手すりを別体化した上で再塗装、レタリングを施しています。

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 対してこちらは、連合軍の命令で国鉄が国内輸送向けに製造したレキ1です。日本では戦前から冷蔵車による鮮魚輸送が行われていましたが、輸送単位が小さかったため、先述のレ2900のような2軸車が専ら製造されてきました。しかし、輸送力増強の目的で貨車の大型化を推進していた連合軍は、荷重が従来の2軸車の倍ほどもあるレキ1の製造を指示。国鉄内部の反対意見を押し切り250両が製造されたものの、予想通り国内需要に見合わない過大なサイズが敬遠され、”失敗作”として早々と消滅してしまいました。戦後の混乱に翻弄された、薄幸の貨車です。

 模型は古いTMS誌(1966年7月号)の記事を参考に、ペーパー自作でまとめています。

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 最後はこれまた物々しい、米軍専用指定のタキ3000。通称「米タン」です。全国各地の連合軍軍基地への燃料輸送に必須であるタンク車は、先述の冷蔵車と同じく専用の車両が指定されていました。しかしそれでもなおタンク車が足りず、国鉄側が初めから米軍専用として製造したのがこのタキ3000です(後に民間向けも多数製造)。連合軍による占領が解かれた後も、引き続き在日米軍向けの燃料輸送に使用されていたため、後年までその姿が見られたようです。当初はご覧の通り細かい表記が多数並んでいましたが、昭和42年に新宿駅で衝突炎上事故が発生して以降は、印象が悪くなったためかシンプルで地味なものに改められています。

 模型はジャンクで購入した古いエンドウの製品を仕様。車体の汚れを落とした上で再塗装し、レタリングを施しました。筒状のタンク体にインレタを転写するのはなかなか骨が折れますが、それだけに完成した際の見栄えは素晴らしいです。

 ちなみに、こうした特殊な表記のインレタは市販されていませんので、私はいつも原稿を作ってこちら→http://www2.bbweb-arena.com/adoma/outlet.htmlの業者さんに特注しています。かなりお手ごろな価格帯ですし、インレタの質も良く貼りやすいので重宝しています。興味のある方はぜひ。

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 オハ70や木造車が混在した、終戦直後のローカル線…という体で1枚。

 いかがでしたでしょうか?今回取り上げたような車両は、敗戦国日本を象徴する負の遺産…と見ることもできますが、そうした国民感情はともかく、趣味的には大変興味深いものと思っています。戦後73年が経過し、当時の記録および記憶も薄れていく中、こうした模型を通じて当時の空気を少しでも感じていただけたら幸いです。

参考
・鉄道ピクトリアル 2010、vol.60、No.7、通巻No.835(電気車研究会)
・千年の京にありて −鉄道"楽"千紫万紅−(電気車研究会)
・RM LIBRARY 27 「国鉄冷蔵車の歴史(上)」(ネコ・パブリッシング)
・RM LIBRARY 28 「国鉄冷蔵車の歴史(下)」(ネコ・パブリッシング)
・よみがえる貨物列車(学研出版)

posted by TRFC at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記