2015年03月07日

上野東京ライン今昔

 いつも当ブログをお読みいただきありがとうございます。うなづきです。宮城の地は三寒四温の日々が続いておりますが、読者の皆様はいかがお過ごしでしょうか。


 さて、来る3月14日にJRのダイヤ改正が行われます。今回の改正は北陸新幹線の金沢延伸や寝台特急の定期運行終了など、話題に事欠きません。

 東北本線、常磐線、高崎線の上野‐東京間直通運転「上野東京ライン」の開業もその一つです。この上野‐東京間における東北本線等の列車の直通運転は以前も行われていましたが、東北新幹線が東京駅に乗り入れる時にその用地として使われてしまいました。今日はレールが途切れる前の上野‐東京間をかつて走っていたユニークな優等列車について、少し書いてみたいと思います。
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2014年09月23日

新幹線食堂車今昔

 読者の皆様ご無沙汰しております。乗鞍です。街角にはキンモクセイの香りが漂う今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。

 さて、先日おくみの氏が書いていた通り、来る10月1日で東海道新幹線が開業50周年を迎えます。そこで今日は新幹線の食堂車について、各地の博物館に収蔵されている車両や模型の写真を交えながら書いてみたいと思います。一部、過去に筆者や当会会員が執筆した内容と重複していたり、同じ写真が使用されておりますが、どうかご容赦ください。

 そもそも、新幹線で食堂車を連結していたのは東海道山陽新幹線で活躍していた0系と100系のみでした。東海道新幹線開業当時はビュッフェ車のみが連結されていましたが、1974(昭和49)年の山陽新幹線博多延伸と共に、新幹線にも食堂車が連結されるようになりました。愛知県名古屋市にある「リニア・鉄道館」には0系と100系がそれぞれ食堂車を連結した状態で保存展示さています。

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 それでは0系食堂車の内部を観てみましょう。

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 4人掛けと2人掛けのテーブルが通路の両サイドに配されています。また、4人掛けの外側には食堂車を通りぬけるための通路が設けられていました。当初は通路と食堂の間には壁がありましたが、「富士山が見えない。」との声が食堂車を利用する方から多く寄せられたために窓が付けられ、食堂からも富士山を車窓に楽しみながら食事が出来るようになったそうです。

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2013年10月09日

鉄道と郵便今昔

 いつも当ブログをお読みいただきありがとうございます。うなづきです。今日の仙台は台風の影響なのか夏が戻ってきたのではないかと錯覚するような暑い一日でした。全国的にも暑い一日だったようですが、読者の皆様がお住まいの地域ではいかがだったでしょうか。

 さて、カレンダーを見ますと、今日10月9日は「世界郵便デー」だそうで、万国郵便連合が発足した日だそうです。調べてみると我が国に近代郵便制度が誕生したのは1871(明治4)年で、1874(明治7)年に結成された万国郵便連合に日本は1877(明治10)年に加盟しました。また、1872(明治5)年には新橋‐横浜間において我が国初の鉄道が開業したのですが、驚くべきことに開業当初から鉄道を用いた郵便輸送は行われていたそうです。今日は、鉄道と郵便の関わりについて少し書きたいと思います。

 かつて我が国の鉄道には「郵便車」という種類の車両が存在していました。40代以上の方ですと、昔客車に混ざって乗客が乗れない車両があったことを記憶しているかもしれません。この”人を乗せない車両”のうち、車体側面におなじみの〒マークを付けたものが郵便車です。

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2013年10月07日

洋上の花々

 いつも当ブログをお読みいただきありがとうございます。うなづきです。昨日の仙台は、秋雨煙る一日となりましたが、川原では芋煮会をする人々の姿が散見されました。当会でも、来週末に芋煮会が開催されます。

 さて宮城では日ごとに朝晩の気温が低くなり、タオルケット1枚だけをかけて寝ていては寝冷えしてしまうので、私は先日押入れにしまってあった毛布を出しました。今日はこの毛布を用いたおもてなしについて、先の研修にて知見を広めて参りましたので、少し書きたいと思います。


 まずはこちらの写真をご覧ください。

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2013年09月19日

BRT今昔

 皆様こんばんは。むろどうです。今日、19日は中秋の名月にあたりますが、昨日、仙台の上空に浮かんでいた月も、非常に美しいものでした。綺麗な月を見ると、ついつい遠回りして帰りたくなる今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。

 さて、昨年気仙沼線にてバス・ラピッド・トランジットすなわちBRTによる運行が始まってから1年と1カ月が経過しようとしています。そこで今日は、我が国における元祖BRTといっても過言ではない、白棚線について紹介したいと思います。なお、気仙沼線のBRTにつきましては、昨年ことでん氏が白棚線の後輩にて記しておりますので、併せてお読みいただけると幸いです。
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2013年07月03日

富士山と鉄道今昔

 いつも当ブログをお読みいただきありがとうございます。うなづきです。大変ご無沙汰しております。宮城の地はあまり雨の降らない日が続いておりますが、読者の皆さんがお住まいの地域では梅雨の具合はいかがでしょうか。

 さて、去る6月22日に富士山の「世界文化遺産」への登録が決定され、7月1日には山開きが行われたと聞きました。

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 東北に住む私にとって富士山のイメージは大映や松竹映画のオープニングに登場するというイメージですが、鉄道と富士山の関係性はどんなものがあったのでしょうか。そこで、今日は鉄道と富士山の関係について少し書きたいと思います。一部、以前にも執筆した記事と内容が重複しているものもございますがどうかご容赦ください。


 1929(昭和4)年、国鉄初の特急の愛称として「櫻」と共に採用されたのが「富士」でした。埼玉県さいたま市にある「鉄道博物館」には当時「富士」の最後尾に連結されていた展望車が「富士」のテールマークを付けて静態保存されています。

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 なお、テールマークのローマ字表記は1929(昭和4)年の命名当時はヘボン式の「FUJI」で表記されていましたが、1938(昭和13)年には日本式表記に改められて「HUZI」となったようです。大阪市の「鉄道科学博物館」には「HUZI」のテールマークが展示されています。

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その後、戦火の拡大によって特急は廃止されていき、「富士」の名も1944(昭和19)年4月に廃止されました。


 戦後、「富士」の愛称はなかなか復活しませんでしたが、1961(昭和36)年10月の時刻改正で東京と神戸・宇野間を結ぶ特急の愛称として復活を果たしました。この特急「富士」は東海道新幹線開業のため1964(昭和39)年9月30日に廃止され、翌10月1日からは、東京‐大分間を結ぶ寝台特急の愛称となりました。写真は、寝台特急「富士」を牽引していた電気機関車が掲げていたヘッドマークです。

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 寝台特急となった「富士」は、1972(昭和47)年には走行区間が延長され東京‐西鹿児島間となりました。最後は利用客の減少により、行き先も大分に戻った上で寝台特急「はやぶさ」と統合され、「富士・はやぶさ」を名乗っていました。写真は「富士・はやぶさ」時代のヘッドマークです。先に紹介した「富士」と「はやぶさ」双方のヘッドマークの意匠を取り入れています。

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 こうしてブルートレインとして孤塁を守り続けた「富士・はやぶさ」も2009年3月の時刻改正で惜しまれながらも廃止されました。


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2012年11月20日

鉄道電化今昔

いつも当ブログをお読みいただきありがとうございます。うなづきです。宮城の地では秋が早足で過ぎ去り、駆け足でやってくる冬の足音が日に日に大きくなっておりますが、読者の皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 さて、カレンダーを見ますと、昨日11月19日は「鉄道電化の日」とありました。はて、「鉄道電化の日」とは一体何でしょう。今日はこのことについて少し書きたいと思います。

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2012年04月20日

修学旅行と鉄道今昔

 いつも当ブログをお読みいただきありがとうございます。うなづきです。文フェスも無事に終わり、今週末はいよいよ新歓花見となりました。今年は例年に比べて気温が上がらず、なかなか桜が咲きませんでしたが、ようやく開花しました。あとは当日の天気がいいことを祈るばかりです。

 さて、突然ですが読者の皆さんは、修学旅行ではどのような交通機関を利用したでしょうか。飛行機や貸切バスなどもさることながら、新幹線を利用された方も多いのではないかと思います。今日は修学旅行と鉄道について少し書きたいと思います。

 我が国では修学旅行には多く鉄道が使用されてきましたが、充当される車両は寄せ集めの客車がほとんどで、必ずしも快適な旅路ではありませんでした。そこで、世界でも類を見ない修学旅行専用電車が開発されることになりました。
 
そして、今から53年前の1959年4月20日に、修学旅行専用電車155系による修学旅行輸送が開始されました。写真はその様子を再現した模型です。

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155系のレモンイエローとライトスカーレットの配色は、当時の中学生からの応募を参考にしたそうです。また、専用電車の愛称も中学生からの募集が行われ、東京向けは「ひので」、関西向けは「きぼう」となりました。写真は「ひので」のヘッドマークです。

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 この修学旅行電車「ひので」「きぼう」に関する記事は、1959年3月17日に創刊された「少年マガジン」の創刊号にも掲載されました。今日、少年誌に新型電車登場の記事が掲載されることなど、まずないことですから、当時のこの電車に対する関心の高さをうかがい知ることができます。

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2012年04月12日

軌条線上のネビュラ

 いつも当ブログをお読みいただきありがとうございます。うなづきです。さて、カレンダーに目を移しますと、今日4月12日は「世界宇宙飛行の日」だそうです。調べてみると、1961年4月12日、旧ソ連の宇宙飛行士ユーリ ガガーリンがボストーク1号で史上初の有人宇宙飛行に成功したことに因むそうです。そこで今日は「世界宇宙飛行の日」に因んで星の名を冠した列車について少し書きたいと思います。

 そもそも、我が国の鉄道で天体に関係した愛称を最初に名乗ったのは、1949年9月15日に命名された東京‐大阪間急行「銀河」だったようです。翌年、他の急行にも愛称を付けることになり、夜行急行は天体名に関係する愛称をつけることになりました。その後、多くの夜行急行に愛称が付けられ、1963年当時の東海道本線には前出の「銀河」の他に、「明星」「彗星」「月光」「金星」「あかつき」「すばる」といった夜行急行がありました。写真は、寝台特急になった後の「彗星」のヘッドマークです。

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また、東北本線に設定されていた夜行急行は、「北斗」「北星」「新星」を名乗っていました。後に特急となった「北星」の最後尾車両に掲げられていたテールサインは、下の写真のような図案でした。

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2011年12月30日

帝都地下鉄今昔

 いつも当ブログをお読みいただきありがとうございます。うなづきです。暮れも押し迫ってきましたが、読者の皆様はいかがお過ごしでしょうか。

 さてカレンダーに目を移しますと、本日12月30日は「地下鉄開業記念日」と書いてありました。今日はそのことについて少し書きたいと思います。

 今をさかのぼること84年前、すなわち1927(昭和2)年12月30日、日本、いや東洋初の地下鉄が東京は浅草‐上野間に開業しました。浅草‐上野間と聞いて、ピンと来た読者の方もいらっしゃるのではないでしょうか。そうです。この路線は現在の東京メトロ銀座線の一部となります。

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 上の写真は「地下鉄博物館」に保存展示されている開業当初の車両です。当時の日本の鉄道車両の車体は木造が当たり前でしたが、この車両は地下での火災の危険に対処するため鋼製車体になっていました。それでは中に入ってみましょう。

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 車内の様子は上の写真のようになっていました。よく観察してみると、照明が間接照明になっているのがお分かり頂けるとおもいます。また、吊り手が斜めに見えるのは、使っていない時は窓側にはね上がるようになっているからだそうです。

 この“元祖”地下鉄は開業当日だけで約10万人を輸送したそうで、当時の人々の地下鉄への関心の高さをうかがい知ることが出来ます。

 この地下鉄は、資金難に陥った時には駅名に店名を冠すると約束して、百貨店に出資を依頼するなど、当時としてはかなり斬新な経営手法で少しずつ営業区間を延ばしていき、現在の銀座線の一部となっていきました。
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2011年07月21日

「はやぶさ」マーク今昔

いつも当ブログをお読みいただきありがとうございます。うなづきです。去る7月9日に東北新幹線の暫定ダイヤが改正され、「はやぶさ」今までと比べスピードアップしました。そこで、今日はこの「はやぶさ」を名乗った特急列車のマークに就いて少し書きたいと思います。

 特急「はやぶさ」が登場したのは昭和33(1958)年のこと、東京‐鹿児島間を結ぶ寝台特急として登場しました。当時、走行区間の多くはまだ電化されておらず、非電化区間では蒸気機関車が先頭に立っていました。

C6112 はやぶさ.bmp

写真は当会OBが撮影した「はやぶさ」です。先頭に立つのは先に復活したC61 20号機の兄弟機にあたるC61 12号機です。先頭にはヘッドマークが付けられているがお分かり頂けると思います。おそらく、そのヘッドマークと同じ図案と思われるものを紹介します。

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上の写真で紹介したヘッドマークは「鉄道博物館」に展示されていました。また、「鉄博」に保存されているEF58 89号機はこれとは少し違った図案の「はやぶさ」ヘッドマークを掲出していました。

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「はやぶさ」はその後も長きにわたってブルートレインの愛称として親しまれてきましたが、次第にブルートレインの乗客数にも陰りが見え始め、他のブルートレインと統合された結果、「さくら はやぶさ」、「富士 はやぶさ」を名乗るようになりました。

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写真は、大阪の「交通科学博物館」に展示されていた「さくら はやぶさ」と「富士 はやぶさ」のヘッドマークです。
そして平成21(2009)年3月、寝台特急「富士 はやぶさ」は廃止となり、「はやぶさ」の愛称は一度鉄路から姿を消しました。

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2011年06月09日

復活ののろし

こんばんは。乗鞍です。仙台では最近日中になると気温が上がり、半袖の方が過ごしやすい日が続いていますが、読者の皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 さて、最近の鉄道各誌を読みますと、大宮工場にて復活工事中であったC61形蒸気機関車の20号機がこの程「復活」を果たし、ホームグラウンドとなる高崎近傍にて、目下試運転を行っているとのことです。
このC61 20号機は現役同時、仙台機関区にも在籍していた東北ゆかりの機関車で、当ブログでもいち早く、その復活をお伝えしたかったのですが、肝心の20号機の写真が手元になかったため、記事を書くことが出来ませんでした。そこで日夜当会のアーカイヴを渉猟している、うなづき氏に、この20号機の現役時の写真がないかどうか探してほしい。と頼んでみたところ、今日の昼休みに「写真があった。」という報を受けました。放課後、早速その写真をスキャナで読み込み、読者の皆さんに紹介する次第です。

C61 20 1964,3.jpg

写真のキャプションによれば、この写真は1964(昭和39)年3月に東北本線塩釜‐松島間で撮影されたそうです。一等車(現、グリーン車)と二等車(現、普通車)を従えて快走する現役当時のC61 20号機を、総天然色で記録してくださった当会OBには本当に感謝したいです。きっと、この写真を撮影したOBも、よもや半世紀後にこの20号機が復活を果たすとは夢想だにしなかったことでしょう。

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2011年02月22日

グランクラス今昔

いつも当ブログをお読みいただきありがとうございます。うなづきです。さて、仙台駅で展示されていた「グランクラス」のシートをご覧になった読者の方も多いかと思います。私はおととい見に行ってきました。今日は、「グランクラス」の様な“1ランク上の”車内装備を持った車両たちについて少し書きたいと思います。

 まず私が“元祖グランクラス”として取り上げたいのは、戦前から戦後にかけて特急列車の最後尾に連結されていた「展望車」です。

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 この展望車は客室の等級が3等制だった当時、1等車に分類されていました。もちろん庶民にとっては高嶺の花で、利用客は上流階級や政治家、軍人だったようです。

 やがて、この展望車も特急列車の電車化に押され、姿を消しました。現在、埼玉県さいたま市にある「鉄道博物館」に展望車マイテ39 11が保存されており、ガラス越しにその豪華絢爛たる車内を窺うことができます。

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 展望車に代わって登場したのが、“パーラーカー”と呼ばれたクロ151形です。

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2011年01月21日

夢の超特急今昔

 いつも当ブログをお読みいただきありがとうございます。うなづきです。今日1月21日をもってE5系「はやぶさ」試乗会への申し込みが終わったようです。私を初め、多くの当会会員がこの試乗会に申し込んだようです。「夢の超特急」と題されたE5系。今日は、そんな「夢の超特急」について書きたいと思います。

 最初に“超特急”の名称が登場したのは、1930(昭和5)年のこと、東京‐神戸間に登場した「燕」に、この“超特急”という言葉は使われていました。この元祖“超特急”「燕」は、当時10時間40分かかっていた東京‐大阪間を2時間20分短縮し、8時間20分で結びました。しかし、この“超特急”も戦火に追われるように、1943(昭和18)年10月に廃止されました。


 時代は移り、1964年10月1日、東京オリンピック開会を目前に控えたこの日、東海道新幹線東京‐新大阪間が開業しました。開業当時運行されていたのが下の0系です。

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2011年01月07日

夢と希望の系譜

こんばんは。乗鞍です。宮城の地は元日以降比較的穏やかな日が続いていますが、読者の皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 さて、4日の新聞に「MADE IN DREAM.」という題で、JR東日本の全面広告が掲載されました。広告の内容は、来る3月5日に、新型新幹線車両E5系が「はやぶさ」としてデビューすることを告知するもので、そこには、E5系を含め5両の車両の写真が載っていました。今回は筆者が撮影した写真で、広告に掲載されていた車両たちを見ていきたいと思います。


 まずは、C61形蒸気機関車を紹介します。C61形は、戦後に余剰となった貨物用蒸気機関車を改造して製造された機関車です。東北地方では、東北初の特急「はつかり」の牽引機として活躍しました。

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 上の写真は、現在京都の梅小路蒸気機関車館に動態保存されているC61 2号機を写したものです。JR東日本では、目下同型機のC61 20号機の動態復活を目指して整備を続けているそうです。今回の広告にC61が“起用”されたのは、この20号機の動態復活が一因と思われます。

 次は、キハ80系のキハ81形です。このキハ81形は、日本初のディーゼル特急「はつかり」用として製造され、その後は「いなほ」や「つばさ」として東北地方で活躍し、最後は西日本に転属し、特急「くろしお」として活躍しました。

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 写真は、大阪の交通科学博物館に静態保存されている。キハ81形です。その独特のボンネット形状から、「ブルドック」の愛称で親しまれました。

 
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